書誌情報

脇田健一, 2024, 「多層的なガバナンスから流域環境問題の解決を考える──琵琶湖流域における協働の試みから」宮内泰介・三上直之編『複雑な問題をどう解決すればよいのか──環境社会学の実践』新泉社, pp.112-133.

https://www.shinsensha.com/books/6146/

葛藤ポイント

市民と専門家はいかにして「一緒に」問題解決を考えていくことができるのだろうか。

専門家による問題設定/課題抽出/解決手法提案に市民が「従属」してしまうことが起こっていないだろうか。

実践的研究/協働的実践に臨む時、「私」はどういう人々の「意味世界」に接近できている/できていないのだろうか。

紹介文

「先生のご専門の知見から、〇〇についてどうすれば良いか、お教えいただけますか」という質問をされる時があります。自治体の行政職員やNPO・ボランティア団体のスタッフ、地域団体の役員など、質問されている方々の立場はさまざまです。しかし、どのような立場の方でも、私は困惑してしまいます。先方は藁にもすがる思いで「答え」を求めている場合があります。しかし、そうした「相談」が寄せられた時、向き合うべき問題の状況がどのような文脈で立ち現れ、どのような歴史的/社会的な背景が地域にあるのか、私がわかっていないことも少なくありません。また、その地域/環境の中にどのような社会資源/潜在的可能性があるのか、それも私には見えていないことが少なくありません。何よりも、相談に来られた方以外にその問題のステークホルダー(利害関係者)にはどのような人びとがおられて、その方々がどのようなものの見方や考え方をされていて、どのような思いや考えを抱いているのかがまったく見えていないことが大半です。切迫した状況であれば、文字通り「藁」に過ぎない意見にもかかわらず、「頼みの綱」や「抱きつく丸太」のような重みをもって扱われることもあって、より一層私の口は重たくなってしまいます。ですから、「お教えいただけますか」との投げかけに対して、「一緒に考えませんか」という呼びかけで応答することになります。

では、「一緒に考える」モードになればよいのかと言えば、そのように簡単な話ではありません。ここでは環境社会学者の脇田健一さんの論文を手掛かりとして、何が/どのように「簡単な話ではない」のかを考えていきます。脇田さんの論文の舞台は、滋賀県彦根市の農村地域において琵琶湖へ流入する農業濁水問題の解決を見出していく場です。

まちに関わる人びとの多元性

第1節「複雑な環境問題の典型としての流域環境問題」では、まず流域の基本構造としてふたつの事柄が確認されています。ひとつ目は「入れ子状の構造」です。流域には本流と支流の水系を軸に、森林や農地、住宅地や市街地といったかたちで多様な土地利用のされ方をしている空間が連鎖/集積しており、それらが入れ子状の構造になっていることを指します。ふたつ目は「階層的な関係」です。流域の水系は本流と支流の河川のみならず、農業用排水路や集落を流れる大小の水路が含まれ、それらの間には階層的な関係があることを指します。この基本構造はステークホルダーの多数性/多様性を示すだけではなく、多元的な環境認識が存在することを示します。ステークホルダーはそれぞれの利害に基づいて、関心を寄せる空間スケールが変わってきます。そのため、流域環境問題とひとことに言っても、そこには多元的で多様性に富む意味世界が存在しています。この意味世界の乖離/ズレが解決困難性を生んでいると脇田さんは指摘します。

そこで、第2節「コミュニケーションの豊富化のための方策」では、多元的で多様性に富む意味世界の間をつなぎ、公論を形成していくコミュニケーションの豊富化の方策が検討されていきます。まず、琵琶湖の農業濁水問題が生み出される構造が確認されています。ここでは歴史的な視点から、農作業の負担を軽減し、生産性/効率性を向上する国の農業政策に農家は巻き込まれて、意図せざる結果として農業排水の環境負荷は高くなり、その結果、漁業被害や生態系の悪化という影響をもたらすことになったことが示されます。こうした構造理解を下敷きに、日本学術振興会「アジア地域の環境保全」のもとで企画された文理融合型プロジェクトでは、農家を含めた地域住民が参加するワークショップや、農家の方々とのアクションリサーチが行われました。その結果、先端的な流域診断法を用いれば農業濁水の削減/抑制の方針は明らかとなるものの、そのような大きな空間スケールからの政策的要請は、個々の農家や地域住民の行動変容に結びつかないことも明らかとなりました。

市民は「便利な他者」か?

第2節では、大きな空間スケールの「鳥の目」で科学的知識によって把握される意味世界に基づく一方的かつ啓蒙啓発的な政策提言の問題が示されています。具体的には、小さな空間スケールの「虫の目」から把握される意味世界を周縁化し、支配—従属関係に陥ることが指摘されました。これに対して、続く第3節「見えにくい支配—従属問題」ではメタ的な問い直しがなされていきます。前節で取り上げられた研究プロジェクトは一見すると地域住民がとらえる「虫の目」の意味世界を重視しているように見えます。しかし、当初から農業濁水問題という課題に焦点化されており、「鳥の目」に「虫の目」をソフトに統合しているだけではないのかという疑問が発端になります。本文では「農業濁水問題に焦点を当てたのは、端的に言ってしまえば自分たちの研究プロジェクトの都合なのである」(p.122)との厳しい自己評価を下しています。ここでは解決すべき問題としての設定や、取り組むべき課題の抽出を行政や専門家が行なっており、地域住民はその問題設定/課題抽出に従属している構図が見られます。また、地域住民との対話がなされたとはいえ、農業濁水問題の解決手法の提案も「外から」押し付けている側面もあるのではないかとの疑問も示されています。

こうした「支配—従属」問題との正対していくために、第4節「農村集落の地域活動との協働」では、総合地球環境学研究所の文理融合型研究プロジェクト「琵琶湖—淀川水系における流域管理モデルの構築」の取組が紹介されています。ここでは、ある地域で既に取り組まれていた「生き物の賑わい」を生み出す地域活動の“お手伝い”を通じて、地域の農家と研究員との対話が始まり、相互の意味世界への接近が起こったことが例示されます。こうした実践を通じて、農家の人びとの小さい空間スケールの意味世界の中から掘り起こされた生物多様性保全ツール「環境ものさし」が協働で開発されることになります。この「ものさし」から問題設定や課題抽出がなされれば、前節で見出された「支配—従属」問題を回避できる可能性が出てきます。

総括となる第5節「支配—従属問題に陥らないために」には、「なぜ支配—従属問題が見過ごされてしまうのかといえば、それは、あらかじめ自分の頭の中に描いた青写真に、目の前の異質な他者を当てはめることで、無意識のうちに手段として扱ってしまっているからなのである」(p.132)との一文があります。新たな意味世界との出会いをもたらしてくれうる「異質な他者」を自らの研究や実践にとって都合の良い「便利な他者」に変えていないかとの指摘は、実践的研究に臨むものにとっては反省的思考に誘われる警句でしょう。

「一緒に考える」は可能か?

脇田論文で指摘されている「葛藤」の課題は、市民と専門家の間に存在する不均衡な力関係に他なりません。「一緒に考えませんか」と呼びかけても、専門家が「無邪気」に問題状況の中から検討すべき課題を抽出したり、その考える道筋を提示したりすれば、そこでは「支配—従属」問題が生じる可能性を孕みます。実践者/研究者を問わず、専門家として認識されて「相談」に来られれば、そこには望むと望まないにかかわらず権力性が生じ、対等性の基盤が成り立ちにくくなります。何気ない一言が多元的で多様性に富む意味世界を抑圧する可能性もあります。だからといって、専門家は沈黙/寡黙であらねばならないわけではありません。専門家に期待される役割の一つは、多元的で多様な意味世界を浮かび上がらせたり、その意味世界の間の対話を促したりすることでしょう。もちろん、対話のコーディネートだけに専門家の役割は閉じるものではありません。専門家だから見えてくるもの/聞こえてくるものがあります。それらに基づく問いかけ/投げかけに踏み込んでこそ、「一緒に」考えることにつながります。ただし、不均衡な力関係をなだらかにしたり、力関係が逆転する経験となりうる機会を積み重ねたりするといった過程がそこに求められるでしょう。その過程の具体化について、私は明確に見つけられているとは言えません。しかし、脇田論文からは現場への入り方、関係構築の進め方への示唆をもたらしてくれているように思われます。

Profile

川中大輔(関西学院大学)

専門は社会学、社会デザイン研究。日本の市民社会の現代的課題を探りながら、どのような社会イノベーション実践やシティズンシップ教育が求められているのかを考えている。